6年の日々が過ぎて。
震災から6年。
いろいろと思うところもあったので、ブログにまとめようと思っていましたが、結局バタバタとしてしまい今日になりました。
(前の夜も消防だったのですが、何となく落ち着かなくてそこから一人はしご酒をして深酒をかましてしまった。そして、当日は朝5時50分の予告放送で目が覚めるという大寝坊。手の届く範囲にあったものを着て、なんとか5時57分に屯所に到着。結果的には間に合ったけど、大人としてはどうかと思います。われながら)
実際の訓練について、簡単に振り返ります。
6時のサイレンが鳴り、防災無線から訓練の想定が放送。
おなじく、消防団にたいしては、水門封鎖と避難誘導の指示。
ポンプ車部隊と広報支援車部隊に分かれて出動。
ポンプ車部隊は、各分団が管轄の水門を封鎖、訓練のため封鎖完了後すぐに開放。
→所定の避難場所に消防団も避難。
広報支援車部隊は、避難所に指定されている高台、公民館を巡回し、避難人員の把握。
→避難所である小学校でポンプ車と合流。本部に対して、避難人員および出動団員数の報告。
うちの分団が把握した避難人員数は、高台に20名前後、公民館に10名前後、小学校に30名前後。
→海側から離れた公民館への避難者は、行政関係者・自治会(自主防災会)をのぞくと3世帯5名(?)
→小学校には10名くらいの児童が避難。行政の職員から防災倉庫の備蓄物資の説明あり。
宮古市の発表によると、市内40か所の避難所に1,387名が避難したとのこと。
自主防災組織が確立している地域では、避難者が多かった印象(私調べ)。
避難訓練を行うこと自体は重要だとおもいますが、毎回気になることがあります。
ひとつめが、避難所の設営と炊き出しの訓練が、地震発生前からおこなわれること。
これでは、訓練の訓練といった状況になっているように思います。
「ほらほら、早くお米を炊いて豚汁を完成させないと、サイレン鳴っちゃうよ~」
なんてことが話されているかもしれません。
もうひとつが、消防団の水門封鎖訓練について。
(ぼくは寝坊して遅刻しそうになりましたが)いまの訓練は屯所集合で、ポンプ車に乗り込んだ状態で出動命令を待ち、サイレンとともに水門の封鎖に向かいます。そのため、速い分団では放送から10分以内に水門を封鎖することができます。しかし、実際は、自宅・職場から屯所→水門(現場)→封鎖→避難→避難完了という手順を、津波到達予定時刻の15分前に終えなければならないわけです。そうすると、今の訓練方法では実際の津波のシミュレーションにはならないと思います。
今のままでは、命を守る訓練ではなく、ただの「かけっこ」と変わらないと思います。
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もっと書きたいことがありましたが、(一応わたくしもサラリーマンですし)明日も仕事があるのでこのあたりで。
またの機会に。