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仔馬の日記

東日本大震災/地域防災/陸上競技/ランニング/釣り/アウトドア/写真/読書/ももクロ/お酒 etc.

読書日記

大学時代の友だちにKという男がいる。青森時代一番の悪友だとこちら側から勝手に認めている。Kは、読書と酒を愛していた。いや、愛していたというよりは、むしろ浸っていたという方が正確かもしれない。「生活を読書と酒で浸していた」という表現がしっくりくる気がする。そんなKとは、いいちこのお湯割りを飲みながら、読書談義や社会批評のようなことをしょっちゅうしていた。

 

そんなKに、「お前まだ読んでいないのか!?あの1冊は早く読め!」と、怒られたときがあった。あれは大学3年の秋だったか冬だったか、なのでそれから、4年以上は経っていることになる。

 

しかし、結局それからその1冊を読むことなく最近まで過ごしていた。別に避けていたわけでもないし、本屋で棚に並んでいるのをみると、そのときのことを毎回思い出した。なんで、読んでいなかったのか、自分でもよく分からないけど、多分タイムリーでもっと読みたい本があったりしたんだと思う。

 

そんな前談もありながらも、やっとその本を開いた。そして、数ページ読んで後悔した。「お前まだ読んでいないのか!?あの1冊は早く読め!」というKの言葉の意味がやっと分かった。

 

発刊から10年以上が経過してもまったく色あせている感じがしない。むしろ、われわれがいま生活している社会を、そのまま作品に落とし込んでいるかのように感じられた。

たぶん、発刊されたその年に読んでも、同じような感覚に襲われただろうし、2011年の3月に読んでもそうであっただろうし、来年読んでも、5年後、10年後に読んでもそんな感覚に襲われると思う。

 

筆者は現在の世界を見て、どんな文章を書くのだろうか。しかし、残念ながらその文章を読むことはできない。おそらく、いや、この本を読んだすべての人が、この現実を悔しがっていると思う。

 

この本が中学生が読む教科書になれるとは思わない。けれども、道徳の教科書がどうとか、そんな些末なことはどうでもいいと思えてくる。ここまでいろいろ書いてきて、最終的にはチープな表現になってしまうが、この本はそんな力を持っていると思う。

 

「お前まだ読んでいないのか!?あの1冊は早く読め!」と怒られた経験があるからこそ、著者と作品名は知っていても読んだことのなかった人に少しでも早く開いてもらいたい、とつよく伝えたい。

 

今回読んだ本はそんな1冊でした。

 

伊藤計劃虐殺器官』 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

読書日記

 最近、読み終わったもの。

毒殺魔の教室

毒殺魔の教室

 

 地元の古本屋で乱雑に並べられていて、たまたま手にとった1冊。知らなかったけど、2009年の「このミステリーがすごい」で優秀賞を獲っていたとのこと。

ひとつの事件にまつわる証言が羅生門的に書かれていて、そこに生じる勘違い・食い違いがとても面白かった。

 

そして、最近、買ったもの。

 

 試して読み冊子の数ページで、完璧に引き込まれてしまった。帯にも書いていますが、「ヅード」という怪物が暴れまわってそれと戦う、「これぞSF!」といった作品です。いま、(周回遅れで)『進撃の巨人』を読んでいて、この作品も「怪物vs人間」という超大まかな設定はおなじですが、話の展開のペース(緩急)が独特で引き込まれます。

すでに三巻まで出ているようなので、これはすぐに買いに行くことになりそうです(笑)

 

 

山と食欲と私 4巻 (バンチコミックス)

山と食欲と私 4巻 (バンチコミックス)

 

そして、発売を待ち望んでいた、『山と食欲と私』の第四巻!飯テロ漫画は余多ありますが、このマンガを読んでいると、外に出て自分で作りたくなるのはこの作品が一番だと思います。アウトドア飯いいなぁ。山登りたいっす。

 

 今、読んでるもの。

 

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)
 

 まちづくりを考えるのに、その前段として住宅問題について少し勉強しています。いろいろなデータを使っていて、そこそこタメになります。全部を通して読んでどうなるか、こうご期待、です。

6年の日々が過ぎて。

震災から6年。

いろいろと思うところもあったので、ブログにまとめようと思っていましたが、結局バタバタとしてしまい今日になりました。

 

当日は朝6時からの津波避難訓練に出動してきました。

(前の夜も消防だったのですが、何となく落ち着かなくてそこから一人はしご酒をして深酒をかましてしまった。そして、当日は朝5時50分の予告放送で目が覚めるという大寝坊。手の届く範囲にあったものを着て、なんとか5時57分に屯所に到着。結果的には間に合ったけど、大人としてはどうかと思います。われながら)

 

実際の訓練について、簡単に振り返ります。

6時のサイレンが鳴り、防災無線から訓練の想定が放送。

おなじく、消防団にたいしては、水門封鎖と避難誘導の指示。

ポンプ車部隊と広報支援車部隊に分かれて出動。

ポンプ車部隊は、各分団が管轄の水門を封鎖、訓練のため封鎖完了後すぐに開放。

→所定の避難場所に消防団も避難。

広報支援車部隊は、避難所に指定されている高台、公民館を巡回し、避難人員の把握。

→避難所である小学校でポンプ車と合流。本部に対して、避難人員および出動団員数の報告。

うちの分団が把握した避難人員数は、高台に20名前後、公民館に10名前後、小学校に30名前後。

自治会単位で集団避難をしたのが、1自治会15名。

→海側から離れた公民館への避難者は、行政関係者・自治会(自主防災会)をのぞくと3世帯5名(?)

→小学校には10名くらいの児童が避難。行政の職員から防災倉庫の備蓄物資の説明あり。

 
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宮古市の発表によると、市内40か所の避難所に1,387名が避難したとのこと。

自主防災組織が確立している地域では、避難者が多かった印象(私調べ)。

 

避難訓練を行うこと自体は重要だとおもいますが、毎回気になることがあります。

ひとつめが、避難所の設営と炊き出しの訓練が、地震発生前からおこなわれること。

これでは、訓練の訓練といった状況になっているように思います。

 

「ほらほら、早くお米を炊いて豚汁を完成させないと、サイレン鳴っちゃうよ~」

 

なんてことが話されているかもしれません。

 

もうひとつが、消防団の水門封鎖訓練について。

(ぼくは寝坊して遅刻しそうになりましたが)いまの訓練は屯所集合で、ポンプ車に乗り込んだ状態で出動命令を待ち、サイレンとともに水門の封鎖に向かいます。そのため、速い分団では放送から10分以内に水門を封鎖することができます。しかし、実際は、自宅・職場から屯所→水門(現場)→封鎖→避難→避難完了という手順を、津波到達予定時刻の15分前に終えなければならないわけです。そうすると、今の訓練方法では実際の津波のシミュレーションにはならないと思います。

 

今のままでは、命を守る訓練ではなく、ただの「かけっこ」と変わらないと思います。

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*****

もっと書きたいことがありましたが、(一応わたくしもサラリーマンですし)明日も仕事があるのでこのあたりで。

またの機会に。

 

2日目

昨日に引き続き、川に行って来ました!

今日は地元の山口川の上流で、15分1本勝負。

 

4.5mの渓流竿に1.7mの仕掛けを付けた提灯釣りスタイル、エサは昨日とおなじくイクラの2個掛け。

 

1投目を投げようとした瞬間足元がら魚影が走っていき、「しまった」と思いつつも、生体反応があって一安心。

 

10ヶ所ほど小さな落ち込みを探りましたが、最初の魚影以降反応なし。

狙いに定めていたラストのポイントで、水面を斜めから覗き込んだところ、待望の魚影が!これはなんとしても釣り上げたい!

1投目で魚影が揺らめいてエサに食い付きましたが、慎重になりすぎてしまいアワセられず。またしても、「しまった」と思いつつ、再度チャレンジしたところ、エサに反応してくれて、今度はアワセることも出来ました!

 

サイズは22cm前後、サイズの割には引きが弱かった。それに、魚体がサビていて、動きも緩慢だったので、おそらく産卵後?のようでした。

 


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とはいえ、今シーズン初のイワナ!それもここ数年、川をまったくやってなかったので、3年振り(?)くらいのイワナでした。

 

久しぶりにきれいな星が出て、腹が黄色のイワナを上げたいですねぇ~。出来れば大きいやつ。

 

来週は予定が合えば、新里あたりに行ってみようと思います!

 

 

渓流解禁!

2017年の渓流釣りシーズンが始まりましたね!

 

わたしの本日シーズンインしてきました!

初戦は閉伊川水系の近内川の中流域(県北バス岩船停留所の前後)に入りました。

 

午前6時50分、実釣開始。

初戦ということで確実に釣りたかったので、餌釣りにしました。

エサはイクラを使用、基本的に2個掛けです。

落ち込みや岩の後ろなどを丁寧に探りましたが、ほとんど反応なく、餌のロストもほとんどないといった感じでした。足元から走る魚影もなく、かなり寂しい展開でした。

 

それでもなんとか、河岸が淵になっているところで、今シーズン1匹目を釣り上げました。たしか、7時20分ごろ。

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手のひらサイズ、15㎝くらいの山女魚(やまめ)!

サイズが小さかったので、引きもなく釣り上げてしまって残念でもありましたが、釣り上げるとテンションが上がるものです(笑)

写真ではイマイチ見えませんが、山女魚の特徴であるきれいなパーマーク。いいですねぇ。

サイズも小さいので、写真を撮ってリリースしました。

 

そこから、魚たちは、また沈黙続き、、、。

それも山の位置により太陽光が遮られて寒いことといったら、、、。

我慢の時間が続きましたが、やっと2本目が出ました。

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1本目と同サイズの山女魚です。たしか7時40分ごろ。

写真から(見る人が見れば)わかるように、産卵後のようで黒くさびが出ていました。これもリリースです。

 

その後、8時過ぎまで粘りましたがまた沈黙に突入してしまったため、移動することとしました。

本日2か所目は、宮古市田代の田代川、野外活動センター付近。

イクラを餌に探りますが、まったくの無反応。生体反応がありませんでした。

このあたりから、ウエーダーのなかの足先が冷え切って、感覚が無くなりつつあって、あきらめムードに。それでも、上流にいいポイントがあるとチャレンジしたくなるのが釣り人の性。一発を狙って、ルアーに変更しました。

使用したのは、ピュアの赤金3.5ℊ(知っている人は知っている、超メジャーなルアー)。ロッド・リールはともにDaiwa。

 

キャスティングがあまり上手くありませんが、それなりに丁寧に投げ込みましたが」、1回あたりを感じたのみ。このあたりから、ちらつく程度だった雪も車を運転するには気になるくらいの勢いで降りはじめ、風も強まってきたので移動。

 

最後に田代川下流三陸鉄道北リアス線鉄橋したの深みで、3種類のルアーを試しましたが、全く反応なし。結局、朝に釣った2匹で納竿となりました。

 

せっかく、シーズンを迎えるにあたってランディングネットを買ったのですが、ここまで出番なし。早く、引きが味わえるサイズの1匹を釣り上げたいものです!

あすも時間があれば、近場でチャレンジしてみようと思います!

 

われわれを大切にすることは、かれらを差別していいということとは違う

先週のどべっこ祭りの記事を、観光創生研究会さんがシェアしてくださいました。そこから、このブログの閲覧数が増えてうれしい反面、ちゃんと更新しなければと感じておる次第です。これまでも大したことは書いておりませし、今後も大したことは書けないと思いますが、たまに覗いてもらえるとうれしいです。

 

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学生のころから、エスニシティに関連する文章に触れる機会があったこともあって、いまだに興味があってたまに読んでみたりしています。(院試の時は、そのあたりのことを記述試験で書いた記憶があります。)

 

それだけじゃなく、日本は多文化共生をうたいながらも排外主義的な思想が蔓延していたり、アメリカではトランプ政権が誕生してイスラム系の締め出しが始まったり、と過激な自国民中心主義が広がりつつあって、いろいろと考えさせられることがあります。

 

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日本におけるエスニシティ関連の文献で、新書ながらも重要文献のひとつとなっている田中宏の『在日外国人』を読みました。

 

 

この本のなかでは、筆者自身が在日外国人の方々の支援活動が紹介されていて、そこからはさまざまな理由で日本での生活を選んだ人びと、選ばざるを得なかった人びとにたいする差別の現実とその苦労がつづられています。

 

筆者は、この本の終章「ともに生きる社会へ」で、つぎのように述べています。

日本の少子高齢化の進展は着実に進み、人口減少時代を迎えている。外国人の存在なしには社会が成り立たなくなりつつある。今までの自国民中心主義の社会、外国人を疎外する社会から、外国人、民族マイノリティとの共存、共生を育む社会に舵をきらねばならないのである(田中 2013: 261)

 

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 大学院時代の先輩である井上恵子さんは、在日コリアン3世の男性に聞き取り調査をおこない、「経験のない『民族』生きるとはいかなる経験であるか」ということについて考察しています。

 

CiNii 論文 -  経験のない「民族」を生きるということ : 在日コリアン青年の語りから読み解くエスニシティ

 

井上さんによると、経験のない(コリアンという)「民族」をいきるということは、

自らがリアリティを持って準拠できるようなあるべき在日の姿が不在、あるいは極めて希薄なものになっている中で、日常の生活世界の様々な場面での経験を在日コリアンとしての経験として解釈し意味づけるという、終わりのない、常に過程の中にある実践(井上 2016: 204)

という。

 

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田中さんの論考からは、さまざまな理由のもとで日本で生活している「住民」であるにもかかわらず、「国民」でなかったことが原因で不当な扱いに甘んじなければならなかった現実を見ることができます。

 

また、井上さんが聞き取り調査をおこなっている、在日3世の若い世代の場合、韓国籍を持たず、韓国で暮らしたこともなく、韓国語を話せるわけでもないにもかかわらず、ルーツが韓国にあるというだけで、差別されたり、葛藤を抱えながら生きている現状があります

 

田中さんの論考と井上さんの論考では、議論の水準が異なりますが、通底しているのは(そして、エスニシティ論の論考にも)なぜ彼らは差別されなければならないのか、という問いかけだと思います。

 

前段で田中さんの終章から引用したように、たくさんの「外国人」(広い意味での)の支えがなくては、これからの日本社会を維持していくのはむずかしいでしょう。そのような多文化社会を送っていくには、民族や国籍にとらわれずに(もちろん各種のマイノリティももちろん)、すべての住民が暮らしやすい仕組みを作っていく必要があると思います。

 

マイノリティや社会的弱者が暮らしやすい社会は、そのほかの「普通の人たち」にとっても暮らしやすい社会になるんじゃないかなと思います。ましてや、個人化したリスク社会ではなおさらかと、、、、。

どべっこ祭り

今日は、宮古観光創生研究会の早川さんのお誘いで、遠野ふるさと村に現地視察に行ってきました!

 

山里の暮らし体感「遠野ふるさと村」

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宮古からそこまで遠くないけど、あまり行かない場所、遠野はそんなイメージです。

ジンギスカンを食べに来たか、道の駅の遠野風の丘に寄ったくらいしか記憶にない。(恥ずかしながら河童を釣りに行ったこともありませんが、岩手県民で釣りに行ったことがある人ってどれくらいいるんだろう?)

 

そして、今回の現地研修のメインイベントは「どべっこ祭り」! 

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ですが、その前に、曲がり家を見学したり、語り部の民話を聞いたり、 遠野の民俗文化を五感で体感しました。

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その後は、早池峰の平倉神楽を見ながら、どべっこ飲み放題の昼食でした!

クセのなくさわやかな味わいのどべっこ、とくにも加熱処理を加えないどべっこは飲み易くてとてもおいしかったです!しかし、飲みやすい反面、アルコール度数の強いのがどべっこの特徴。これまでにも、救急搬送された人もいるとのこと。帰りのバスが心配でしたので、セーブしながら飲みました(笑)(いや、まじで去年の夏に日本酒で派手にやらかしてますので(汗))

 
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平倉神楽の方は、地元の黒森神楽とおなじく山伏神楽ですが、まったく別物で それも面白かったです。囃子の調子、足運び、衣装の色彩とデザイン、神楽幕の色彩と絵柄、獅子頭による身固めの仕方、どれも特徴的で、神楽ファンと熱く語りたいポイントが満載でした!

 

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遠野のさまざまな民俗文化に触れ、美味しい料理とどべっこに舌鼓を打ち、神楽を見て、とても充実した1日でした。また、帰りのバス車内でも、観光創生だけじゃなく、みやっこベースの今後についてもいろいろな意見が出て、あっというまに宮古までついてしまいました。

 

ということで、「ただどべっこを飲みに行っただけではない」ということを示すべく、今回の遠野ふるさと村視察から感じた観光創生に求められる条件などなど、考えてことを箇条書きですがまとめてみました。

 

1.観光にかかわる人たちが、地域にかんする知識を十分に有していること。

→特定のジャンルにとらわれないこと、過去~現代、文化(民俗・民具・食・生業…etc.)、産業、気候…etc.。(cf.郷土史、地元学)

 

2.1が観光資源になりうることに対する自覚。

→「当たり前だから」「普通のこと」「人様に見せるものでもない」という感覚を再考する。

 

3.観光をライフワークとする人びとの確保。

 

4.3が一代のみの人材に頼らない世代間継承・世代交代の仕組みづくり。

→将来、3となりうる人びとの育成。

⇒観光資源となるものが、昔の生活文化や口承による民俗などの場合は、今後は非経験者・世代などが担い手になっていく。したがって、伝承する人への伝承が必要となる。=担い手不足・高齢化対策

 

5.3によって日常生活を営める水準の収入の確保。

→やりがいの搾取としない。

 

もう1点。

宮古と遠野を比較して、あきらかになった課題。宮古が昔、特に近代以降の生活文化を観光資源とする場合、拠点となる施設・建築物があるのか?新町の東屋は生かせるかもしれないけど、単体で強力な観光拠点にするには相当な仕掛けが必要になりそう。(そういう意味では、崎山貝塚は竪穴式住居を再現して、資料館も新設されて条件は整っている。にもかかわらず、観光の拠点にはなりきれていない。なぜだ?)

 

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それはそうと、ふるさと村には馬が3頭いたんですが、やはり心惹かれてしまう私でした(笑)

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それにしても、一眼レフで、それも室内で写真を撮るのって難しいな~。